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「精霊流し/グレープ」

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「精霊流し/グレープ」
(作詞・さだまさし/作曲・さだまさし/編曲・グレープ) 
・B面「哀しみの白い影」
・1974年(昭和49年)4月25日発売
・ワーナー・パイオニア
・第16回日本レコード大賞作詩賞
・週間2位(オリコン)
・1974年度年間13位(オリコン)

情報がいとも簡単に手に入るネット社会。ちょっと疑問に思ったことなど手元のスマホで検索すれば1分とかからず答えが分かる…その信憑性は別としても。
そう言った状況がどれほどの原因になっているかは分からないが、歌手の年齢や出身地、血液型なんて情報まで昔に比べて格段に知れ渡っている気がする。
さだまさしが長崎出身であることも、ファンの別なく何となく知識としてインプットされている人が多いのではないか。
この「精霊流し」と言われる行事は先祖の霊を見送るもので、長崎県の各地で行われている。

さだまさしがデビューしたのは吉田正美(現・吉田政美)と組んだフォーク・デュオ“グレープ”で、1973年(昭和48年)のことである。
シングル6枚、アルバム4枚を残し約2年という短い活動期間を終えている。のちの再結成が“レーズン”名義であるのは、さだまさしの洒落っ気だろうか。
グループ解散の翌年「線香花火」でソロ活動を開始し、1977年のシングル「雨やどり」がオリコンシングルチャート1位を獲得。「精霊流し」の最高チャートは2位どまりだった。

実の従兄への追悼歌である歌詞は第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞している通り、のちの“さだワールド”が既に確立されている。
主を失い暫く弾かれなかったギターをつま弾いた“私”が、錆び付いた弦で指を切るくだり…

〜いつの間にさびついた糸で くすり指を切りました〜

…と、弦を敢えて“糸”としている。
また、叔母の着物の色を“浅黄色”とし、イメージ出来そうで出来ない絶妙の表現で聴く者を引き込んでいる。
マイナーの曲ながら、平行調のメジャーになってからの歌詞も救いがあり決してお涙頂戴で終始しているわけではない。
マイナーからメジャーへいき再びマイナーに戻ることは珍しくはないが、流れとしてはやはり“さだワールド”が展開している。

一説によると、60年以上続いた昭和という時代の中で作られた歌のうち、長崎絡みのものは100曲近くもあるらしいですナ。
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