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「矢切の渡し/ちあきなおみ、細川たかし」

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「矢切の渡し/ちあきなおみ、細川たかし」
#ちあきなおみ
(作詞・石本美由起/作曲・船村徹/編曲・船村徹)
・B面「別れの一本杉」
・1982年(昭和57年10月21日)発売
・日本コロムビア
・57位(オリコン)
#細川たかし
(作詞・石本美由起/作曲・船村徹/編曲・薗広昭)
・B面「おんな岬」
・1983年(昭和58年2月21日)発売
・日本コロムビア
・第25回日本レコード大賞大賞
・第12回FNS歌謡祭グランプリ
・第9回日本演歌大賞大賞
・週間1位(オリコン)
・1983年度年間2位(オリコン)
・2位(ザ・ベストテン)
・1位(ザ・トップテン)
・1983年度年間1位(ザ・ベストテン)

ちあきなおみ、細川たかし両ベテランによる競作。
リリースはちあきが半年早い。曲そのものも、元々はちあきなおみのシングル「酒場川」のB面として1976年に発表されている。
B面やアルバム用の数合わせの為に用意された曲が何らかの事情でA面になり大ヒット…そんなエピソードは良く聞く話だが、これは正反対。
しかし、名曲過ぎる名曲は埋もれることなく、1982年に改めてA面としたことで正しい評価を受ける結果となる。
翌年には細川たかしが競作としてリリース、同年には瀬川瑛子、中条きよし、春日八郎&藤野とし恵のデュエットを含め、なんと7種類のシングルが店頭に並んだ。
有線のチャートはちあき盤がトップにありながらも、データとして一人勝ちは細川たかし。

「つれて逃げてよ」「ついておいでよ」
先行きを説明するに十分な男女の会話で始まるこの詞は石本美由紀。美空ひばりを始め多くの歌手に作品を提供し、昭和の歌謡界に大きな足跡を残した作詞家。
一時、消滅寸前であった“矢切の渡し”を救うべく、男女の、それも“命を賭けた”二人の物語に絡めて書き上げた。
結果として、レコード大賞受賞、そして歌碑まで建立されるという、これ以上ない大成功となるのであった。

世間のイメージや、数字を見ると確かに「矢切の渡し/細川たかし」なのかも知れないが、ちあき盤から迫る何かを忘れることは出来ない。
とくに冒頭…「つれて逃げてよ」と迫る女性を大きな懐で「ついておいでよ」受け止める。
一人の歌い手がここまで表現出来るのか。歌の世界へ引き込まれる4小節は絶品だ。

味わい深く、聴き入ってしまう見事な旋律。船村徹という作曲家の器の広さは計り知れない。
おっと、多数の競作の中にはシレっと「島倉千代子&船村徹」と言うのもありますナ。
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